未来の小窓(126) 運動会
歳時記では、運動会は秋の季語になっている。<運動会終りし教師山の秋 山口青邨> の句もある。学校行事になったのは、明治30年ごろ。子どもも貴重な労働力だったため、秋の収穫が一段落した時期が良かったのだろう。春と秋に行う学校では、規模が大きい傾向があった秋の大会を「大運動会」と呼ぶようになったという。
1964年の東京五輪が10月に開かれたことも、秋開催が一般的になった理由といわれるが、最近は春に運動会を行う学校も増えている。地球温暖化で、厳しい残暑が続いていることや、中学受験を目指す家庭が増えた都心部で、秋開催に難色を示す声が高まったこともあって、おおむね東日本を中心に、春開催に舵が切られたそうだ。俳句の世界では、春の運動会を詠む時は、どうやら春の季語が必要らしい。
先日、小学4年生の孫の運動会のプログラムを撮影した写真が、スマートフォンに送られてきた。コロナ感染防止のため、保護者の観覧は1家族2人までとなっており、せめてプログラムだけでもと気遣ったようだ。学年ごとに競技の時間が決められており、4年生は午前10時から10時50分となっていた。密を避けるため、子どもの出番が終わった保護者は帰宅を促す仕組みのようだ。
小学校の運動会の花形種目の一つは、1学年から6学年の代表選手がバトンをつないでいく「リレー」だった記憶がある。1年生が第一走者、6年生がアンカーで、学年が上がるにつれ、走る距離も長くなる。飛びぬけて速いアンカーが、後方から追い上げていくと、運動場は盛り上がった。大人並みの体格も6年生もおり、6年間の成長がうかがえる種目だった。
感染防止のためとはいえ、学年ごとに出場時間が決められていては、盛り上がりに欠けるうえ、成長を感じることはできないだろう。コロナ禍はまだまだ続いている。(時)
1964年の東京五輪が10月に開かれたことも、秋開催が一般的になった理由といわれるが、最近は春に運動会を行う学校も増えている。地球温暖化で、厳しい残暑が続いていることや、中学受験を目指す家庭が増えた都心部で、秋開催に難色を示す声が高まったこともあって、おおむね東日本を中心に、春開催に舵が切られたそうだ。俳句の世界では、春の運動会を詠む時は、どうやら春の季語が必要らしい。
先日、小学4年生の孫の運動会のプログラムを撮影した写真が、スマートフォンに送られてきた。コロナ感染防止のため、保護者の観覧は1家族2人までとなっており、せめてプログラムだけでもと気遣ったようだ。学年ごとに競技の時間が決められており、4年生は午前10時から10時50分となっていた。密を避けるため、子どもの出番が終わった保護者は帰宅を促す仕組みのようだ。
小学校の運動会の花形種目の一つは、1学年から6学年の代表選手がバトンをつないでいく「リレー」だった記憶がある。1年生が第一走者、6年生がアンカーで、学年が上がるにつれ、走る距離も長くなる。飛びぬけて速いアンカーが、後方から追い上げていくと、運動場は盛り上がった。大人並みの体格も6年生もおり、6年間の成長がうかがえる種目だった。
感染防止のためとはいえ、学年ごとに出場時間が決められていては、盛り上がりに欠けるうえ、成長を感じることはできないだろう。コロナ禍はまだまだ続いている。(時)
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