未来の小窓(92)映画法
映画の歴史をひもといて、戦前から終戦まで、映画法という法律があったことを知った。戦時体制のなか、映画会社は許認可制となり、脚本も検閲となった。娯楽色を極力排除し、国策に沿った映画の制作が求められた。映画界で働く人たちも政府に登録しなければ、働けなくなり、春と秋の年二回行われる試験「技能審査」を受けなければならなくなったという。
戦後、映画法は廃止されたが、占領軍のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は、映画製作に当たり、検閲が導入され、反封建主義、民主主義の推進を要求した。10年以上、権力者に求められる映画しか制作できない時代が続いたことになる。
その後、隆盛を誇った映画も、1960年代に家庭にテレビが広まり、客足は大きく減少した。映画館もシネマコンプレックスが主流となり、数は減っているものの、観客数は横ばいが続いているようだ。
一党独裁体制の中国で開かれていた北京五輪が閉幕した。新疆ウイグル地区の人権問題や香港の問題は棚上げされた。政治的中立を掲げているはずの大会組織委の報道官が「台湾は中国の不可分の一部だ」と唐突に主張、物議を醸した。香港の選手に、香港での言論や報道の自由を、香港の選手に尋ねたところ、組織委の担当者から遮られる場面もあったそうだ。かつての中国高官との性的関係をSNS上で告白した女子テニス選手の動向も分からないままで、閉幕を伝えた海外メディアの一つは「ジョイレス」(喜びのない)の大会と評していた。
強権的な中国は、ウクライナに侵攻するロシアに好意的だ。自らの論理ばかりをふりかざす両国に、「言論統制の危険性」を言っても聞く耳は持たないと思えるのが何とも情けない。(時)
戦後、映画法は廃止されたが、占領軍のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は、映画製作に当たり、検閲が導入され、反封建主義、民主主義の推進を要求した。10年以上、権力者に求められる映画しか制作できない時代が続いたことになる。
その後、隆盛を誇った映画も、1960年代に家庭にテレビが広まり、客足は大きく減少した。映画館もシネマコンプレックスが主流となり、数は減っているものの、観客数は横ばいが続いているようだ。
一党独裁体制の中国で開かれていた北京五輪が閉幕した。新疆ウイグル地区の人権問題や香港の問題は棚上げされた。政治的中立を掲げているはずの大会組織委の報道官が「台湾は中国の不可分の一部だ」と唐突に主張、物議を醸した。香港の選手に、香港での言論や報道の自由を、香港の選手に尋ねたところ、組織委の担当者から遮られる場面もあったそうだ。かつての中国高官との性的関係をSNS上で告白した女子テニス選手の動向も分からないままで、閉幕を伝えた海外メディアの一つは「ジョイレス」(喜びのない)の大会と評していた。
強権的な中国は、ウクライナに侵攻するロシアに好意的だ。自らの論理ばかりをふりかざす両国に、「言論統制の危険性」を言っても聞く耳は持たないと思えるのが何とも情けない。(時)
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