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未来の小窓(75) 眞子さまの結婚

 戦前、天皇は神として崇められて、現人神(あらひとがみ)と呼ばれた。戦争が終わり、昭和天皇は1946年、いわゆる「人間宣言」で、「神とするのは架空の観念」と述べ、自らの「神性」を否定した。
 戦後、神ではなくなった皇室と国民との関係を近づけたのは、何と言っても、上皇后の美智子さまだろう。上皇陛下(平成天皇)に見初められ、テニスを通じて親交を深めた。「平民との結婚はけしからん」と周囲は大反対したものの、一般国民からは圧倒的な支持を受け、ミッチーブームも起こった。上皇陛下も「象徴天皇のありよう」を模索し、災害が起きるたびに被災地を訪ね、手を取り、膝をついて、被災者の声に耳を傾け、語りかけられた。
 「私より公を優先させ、国民に寄り添った」上皇夫妻の初孫、眞子さまが10月26日、婚姻届けを提出した。お相手は大学の同級生、小室圭さん。皇籍を離脱して、小室眞子になった。結婚当日の記者会見は眞子さまの要望で、回答文書を渡しただけで、口頭での質問は取りやめになった。
 令和の時代になったても、国民の間には上皇夫妻の姿が色濃く残っており、今回の眞子さんや秋篠宮家へのバッシングにつながったのだろう。皇室の生活費は、国から支給されている。眞子さまは「籠の鳥」と思っていたようだが、皇族は恵まれた「公人」ではないかと思う国民にとって、個人の幸せを優先させた眞子さまの行動は許しがたいものなのかもしれない。皇室と縁続きとなった小室家の金銭トラブルは、結局、国民の理解は得られないままだった。
 衆院選の報道合戦が続くなかでも、新聞やテレビは、2人の結婚を大きく取り上げた。「公」と「私」の問題は、今回のコロナ禍でもクローズアップされた。「なぜ、東京から帰省して来るのか」「なぜ、マスクは着用しないのか」。自粛警察の言葉も登場した。「公」と「私」の問題は、どう考えたら良いのか。古くからの宿題を改めて投げかけたような結婚だった。(時)
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未来の小窓(74) 信玄公

 戦国時代の武将、武田信玄は大永元年(1521年)11月に生まれた。今年は生誕500年に当たる。地元の甲府市では、信玄の人柄や功績について学ぶ生涯学習講座も開かれているそうだ。戦国最強とも言われる騎馬隊を率き、猛将のイメージが強いが、信玄は家臣思いで人材の登用も公平だったと伝えられている。「信玄堤」に代表される治水対策に心を砕き、独自の計量用具「甲州枡」も採用した。民心の安定に力を注ぎ、山梨県民内では今でも市民は「信玄公」と敬っているという。
 そう言えば、虎退治で知られる加藤清正も、地元の熊本県では「清正公」と呼ばれている。為政者を呼び捨てにせず、親しみを込めて「公」の敬称を添えるのは、民衆に慕われていた政策を行ってきたことの証左だろう。
 衆議院が解散し。公示は19日。1051人が立候補し、465議席を争っている。新型コロナウイルス対策に加え、経済成長と分配政策が大きな争点だという。各党とも分配を強調するのは、それだけ、格差が広がっているためだろう。
 1000人を超える今回の候補者のなかで、後世の人たちから、「公」の敬称で呼ばれるような政治家はいかほどいるだろうか。信玄は四方を山に囲まれた甲斐国から打って出て、領国を広げて、天下も夢ではないところで急逝した。尊敬を集める理由の一つに、「山の向こうの世界を見せてくれたこと」を挙げる研究者もいる。
 衆院選の投開票日は31日、コロナ禍を乗り越えた向こうの世界を見せてくれることに期待したい。(時)

未来の小窓(73) 万歳三唱

 大相撲の横綱、白鵬が引退を決めた。通算勝星1187勝、優勝回数45回。言うまでもなく、大相撲史にさん然と輝く大横綱だが、立ち合いでの張り手やかち上げ、駄目押しなど土俵上の振る舞いがたびたび批判された。なかでも、17年の九州場所で、観客とともに行った万歳三唱は評判が悪かった。
 最近のはやり言葉で言えば、同調圧力の最たるもののように見える万歳三唱の起源は1889年とされる。大日本憲法発布をきっかけに始まったとされる。帝国大学では天皇や皇族だけに用いられるとしていただけに、国技を標榜する相撲協会が「相撲道の伝統や秩序を損なう」としたのも分からなくはない。
  「日本国憲法第七条により、衆議院を解散する」。14日の国会で、衆院議長が天皇陛下の詔書を読み上げると、センセイたちがおなじみとなった万歳を繰り返した。解散の際の「万歳」は、明治時代からの慣例とされるが、「万歳をしなければならない」という法的なルールはない。始まった理由について「国会議員をクビなるので、やけっぱちの絶叫」「詔書への崇敬」など諸説ある。「しっかりと大声で万歳するほど当選確率が上がる」との根拠のないジンクスもあると聞く。
 公示は19日、投開票日は31日。解散から17日間の短い選挙戦だ。こ格差の拡大を受け、各党とも「分配」を強調している。なかでも、財源を明示せず、「一億総中流社会復活」「年収1000万円程度以下の個人の所得税免税」などを主張する党のお気楽さが目を引く。
 コロナ禍のなかでも、社会のグローバル社会は進む。業務の効率化や生産性を叫ぶほど、格差が広がるような気がする。本当に生活に困窮し、困ってバンザイしている人たちにどのように、手を差し伸べるか。多くの人の理解を得ながら、政治が舵をとっていくのは、至難の技だろう。(時)

未来の小窓(72)アサギマダラ

  福岡県宗像市の宗像ユリックス図書館で、アサギマダラ展が今月27日まで開かれている。開催に協力したのは、宗像アサギマダラの会だ。「旅するチョウ」の移動経路や観察地マップ、写真などが紹介されており、子どもたちのために、ぬりえのコーナーも設けられている。
  国内で、夏に発生したアサギマダラの多くが、秋になると南西諸島や台湾まで南下する。捕獲した成虫の翅の半透明部分に捕獲場所や年月日、連絡先などをマジックインキで記入し、放蝶するという方法で研究も行われている。1980年代から始まった。白いタオルの一方をつかんでぐるぐる回すとアサギマダラが寄ってくるので、利き手で網を持ち逆の手でタオルを回すと、捕獲しやすいらしい。インターネットによる電子ネットワークで、その日のうちに移動情報が確認できるそうだ。
  図書館の片隅で開かれているアサギマダラの展示会が目に留まったのは、「旅する」という言葉に引かれたのかもしれない。新型コロナウイルスの感染拡大で、不要不急の外出自粛、県をまたいだ移動がやめるように呼びかけられ、政府の需要喚起策「Go To キャンペーン」は中止に追い込まれた。それだけに、直線距離で1500キロメートル以上移動したり、1日あたり200キロメートル以上の速さで移動したりするアサギマダラに憧れるのだろうか。
  幸いなことに、新型コロナウイルスの新規感染者は減少傾向が続く。ワクチン接種者の増加が理由の一つとされるが、感染症の専門家でもきちんとした理由は分からないらしい。理由はとうであれ、自由に「旅する」ことができるようになることへの期待は膨らむ。(時)

未来の小窓(71) 自民党総裁

  自民党の第27代総裁が、前政調会長の岸田文雄氏に決まった。自民党の派閥は「党中党」とも称されてきた議員集団。結束力の強さを誇っていたが、今回の総裁選では、自主投票になった派閥が目立った。宏池会(岸田派)の領袖でもある岸田氏は、10月4日召集の臨時国会で、第100代の首相に指名される。お公家集団とも揶揄される宏池会としては、30年ぶりの宰相となるという。
 3人集まれば派閥ができるそうだ。2対1で、仲間割れが起きるらしいが、自民党の派閥は1955年の結党時から存在した。所属する議員は領袖に忠誠を誓う代わりに「ポストとカネ」の配分を受けた。 大臣も「派閥均衡・順送り」と呼ばれ、批判も浴びた。仲間の選挙には「秘書軍団」を派遣し、若手議員には選挙のノウハウを指南した。毎週木曜日に派閥の事務所などで  水田の定例会を開くのが慣例で、同じ弁当を食べることから、「一致団結・箱弁当」という言葉も生まれた。
  小選挙区制の導入後も、派閥は存続した。ポスト配分機関としての機能は維持され、定例会の箱弁当も続いていたが、今回のコロナ禍で、「一緒に食事」が危うくなっているようだ。弁当の持ち帰りでは、「一致団結」とはならないだろう。派閥とグループの違いは結束力の差と教わった。かつての政権政党だった民主党には、グループはあったが、派閥はなかった。
  一致団結にほころびが出ているためだろうか、総裁選に立候補した4氏の討論を聞いていると、同じ政党なのに、これだけ主張に違いがあるのか、と驚かされた。「多様性」を強調していた、野田聖子・幹事長代行の主張は、野党のそれと酷似していた。そう言えば、自民党の各派閥のなかで、宏池会だけが、何種類か用意された昼食の中から、それぞれ気に入ったものを選んで食べる慣例という。50年近く続く伝統らしいが、箱弁当ではない領袖が宰相に選ばれたのは単なる偶然だろうか。(時)
 
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