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未来の小窓(57) あとの祭り

 時機を逸し、手遅れになってしまうことを「あとの祭り」という。語源には諸説あるが、有力なのは京都の三大祭りの一つ、祇園祭に由来するという説だろう。山鉾巡業で盛り上がる「まえの祭り」に対し、環車が登場する「あとの祭り」は華やかさに欠ける。「見ても仕方がない」から、「もはや手遅れ」に転じていったようだ。いろいろな手遅れがあるが、医療や災害の手後れは人命にかかわるだけに、「あとの祭り」にならないことが肝要になる。
 今年も大雨の心配な季節になった。ここ数年、水害の規模が大きくなっていることから、政府や自治体がより多くの注意・警戒情報を発出するようになった。
 多くの情報があふれる気象情報もどれだけ分かりやすく、伝えられるかが問われている。「違いが分かりにくい」と評判の悪かった、「避難指示」と「避難勧告」が、今年5月から「避難指示」に一本化された。避難指示は、土砂崩れや河川氾濫などの恐れが高い「警戒レベル4」の際に、市区町村が住民に避難を促す。勧告は指示の前に出されることになっていたという。
今月17日からは、甚大な水害を起こす恐れがある「線状降水帯」の発生情報が、「顕著な大雨に関する情報」として発表されることになった。線状降水帯は、積乱雲が次々と発生して連なり、大雨を長く降らせる現象で、昨年7月の九州豪雨や、2018年の西日本豪雨をもたらした。
 線状降水帯の地域は、気象庁のホームページの地図上に楕円で示すそうだが、発生情報なので、発表時点ではすで災害が発生している可能性がある。やはり「早めの避難」が求められることは変わりがない。避難は「難から逃れること」で、自治体が決めた公民館や学校へ避難するだけでなく、知人宅やホテルに泊まるといった方法も考えておきたい。「あとの祭り」にならないために。(時)
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未来の小窓(56) 集中力

 NHKテレビの将棋番組で、島朗・九段(元竜王)が「棋士も体力が必要」と解説していた。将棋は駒の動かし方を知っている程度だか、最善手を考え続けるには、尋常ならざる集中力が求められるのは容易に想像できる。さまざまな局面を頭の中でシュミレーションしていくのは、まさに体力勝負なのだろう。タイトル戦の一局を終え、体重が3キロほど減る棋士もいると聞く。ラジオに耳を傾けていると、大活躍している藤井聡太二冠の強さを聞かれた、谷川浩司九段(元日本将棋連盟会長)が即座に「考え続ける力」と答えていた。
 将棋や囲碁はスポーツなのか、という議論がある。スポーツと言うと、違和感を覚えるかもしれないが、チェスなどとともに、マインドスポーツと呼ぶ人もいる。それを裏付けるように、2010年アジア大会では、囲碁が競技種目になっている。
 新型コロナウイルスの感染がなかなか収まらない。福岡県では緊急事態宣言が解除されたものの、まん延防止等重点措置の対象地域に移行した。外出時にマスクをつける、外出自粛を続ける、飲食店の時短営業。何かと我慢の日々が続く。内閣府の意識調査では、「コロナ疲れを感じる」と回答した人が7割を超える。
 日本人は忍耐強い、真面目で決められたことに従う傾向があると言われるが、持続力、集中力が切れてしまった人も多かろう。
 切り札とされるワクチン接種が急ピッチで進んでいる。プロ棋士のような持続力、集中力はないが、あと一頑張りではないか。明けない夜はない。(時)

未来の小窓(55) 我田引水

 水を張った水田に目が引くようになった。早苗が風に揺れる光景は心が和むものだろう。人の手で1本ずつ植えていく田植えは重労働だったが、田植機の登場で一変した。
 稲作と言えば、欠かせないのが水だ。隣近所が協力し、みんなで均等に使うことがマナーだったが、自分の水田だけに水を入れる人もいた。用水の配分で、いさかいになることも多く、ここから「我田引水」の言葉が生まれた。今では、自分だけが良ければ良いという振舞いだけでなく、自分に都合の良いことばかりを声高に主張する時にも使われる。
 一定以上の収入がある75歳以上の後期高齢者の医療費の窓口負担を1割から2割に引き上げる改正高齢者医療確保法が可決、成立した。医療費を賄う現役世代の負担を軽減するのが狙いだ。自民党、公明党などが賛成し、立憲民主党、共産党などが反対に回った。「現役世代の負担軽減効果は1人当たり700円で、効果が薄い」というのを、反対の理由に挙げていた。
 確かに、現役世代の負担軽減効果は1人当たり700円だが、後期高齢者の医療費は、9割近くを現役世代が払う支援金や公費で賄っている。高齢者自身が支払う保険料は約1割だ。野党は「700円」ばかりを強調するが、今回の制度改正で、年間で支援金720億円、公費980億円が削減できることに言及しないようだ。
 今後、団塊の世代が後期高齢者の仲間入りをする。さらに医療費の増大が見込まれる。コロナ禍もあって、日本の財政は大きく傷んでいる。自分に都合の良いことばかり並べるのは、選挙を前にした「我田引水」ではないのだろうか。(時) 

未来の小窓(54) みずがね

 水銀を「すいぎん」ではなく、「みずがね」と読むことがある。江戸時代によく使われた言葉で、玉川上水や神田上水の利用料や水売りが運んでくる水の代金を指す。湿地帯を埋め立てた本所(現在の墨田区)や深川(現在の江東区)などでは、井戸を掘っても塩水が出てくることから、飲み水には使えなかったという。
  深川を舞台にした作品が多い山本一力氏の小説では、水売りの男たちの姿がたびたび登場する。水売りは、上水から流れ出た水を桶にため、天秤棒の前後に担ぎ、飲み水が必要な人々のもとに届ける。大雨でも台風でも欠かさない。
「人の役に立つ」という江戸っ子の矜持がうかがえる水売りでは、飲み水に金を払うという習慣はあまりなかったような気がする。ペットボトルに入った水が、小売店に並ぶ時代になったのは最近のことだ。
 世界を見渡せば、人口の増加、気候の変動もあって、安全な水を飲むことができない人は多い。イスラム教の本によると、天国はあふれる水とたわわな果物(ブドウ)があるらしいが、日本では、水が湧き、季節ごとに、たくさんの果物が実る地域が少なくない。砂漠の国々と比べると、恵まれていた国だということがよく分かる。
 暮らしのなかで、水は大きな比重を占めていた。町内の井戸の回りに長屋のかみさんが集まり、おしゃべりに興じた。井戸にたまった水を汲み出し、底の異物を取り除く「井戸さらえ」に参加しないと、罰金も取られたこともあったようだ。水道が普及した令和の時代になっても、毎朝のように、近所の駐車場で、幼稚園に子供を見送ったママたちが、おしゃべりを楽しんでいるのを見かける。どこかの国のように、水の心配がないのは、御同慶の至りというしかない。(時)
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